9月9日 LA観光 4 リトルトーキョー

リトルトーキョーの入り口あたり

 

観光4日目です。

LA観光で一番気を付けなくてはいけない事はスリや置き引きに気をつけることでした。

YouTubeではチャイニーズシアターなどの観光地では男の人が何かをタダだよ〜って渡して来て、それを受け取ると難癖をつけて大金を取り上げようと脅してくると言っていました。

私達が車を降りると、YouTubeで見た正にその人がタダだよ〜ってCDを目の前に差し出して来ました。

つい手を出してしまいそうな絶妙な位置にCDを持って来ましたが、YouTubeのお陰で手を出さずにすみました。

幾ら取られてしまうんでしょうか、危ない処でした。

YouTubeではリュックや大きなバッグを背中に持って歩いたりせず、携帯電話もテーブルに出しっぱなしにせずに常時、肩掛けバッグなどに仕舞うよう注意していました。

ちょっと悲しい習慣だなと思いましたが、おのぼりさんの私たちは携帯電話とお財布のみに荷物を減らし、肩から斜めがけにぶら下げて少し緊張気味に歩いていました。

でも、この日は午前中にリトルトーキョーとサンタモニカピアへ行く事にし、サンタモニカビーチで気持ちが向けばビーチで泳いでしまおうと思って出かけました。

観光なのに海水浴用に(夫が)大きな荷物を持ち歩く事になってしまいました。

でも私達が持ち歩くバッグなんか、盗みのプロからすれば大した価値も無いことが明らかだったのでしょうか。

それとも全く隙なんか見せずに居られたのでしょうか。

何も盗まれたりせずに無事に観光を終えることができました。

リトルトーキョーの一角

 

朝は少しゆっくり目に出発してリトルトーキョーへ向かいました。

もう直ぐリトルトーキョーかなぁ、という辺りで車の中から外を見ると大通りにテントがずらっと並んでいました。

通り過ぎた一瞬に見えたのですが、何百メートル?何キロ?も続いていそうでした。

周りを見渡すとホームレスが住んでいる一角なのだと気づきました。

気候が良いのでこの辺りに集まってくるのだそうです。

これがダラスなら夏の暑さで生きていられないと思います。

そしてリトルトーキョー近くで降ろされ歩いていくと瓦屋根の江戸風の一角が見えて来ました。

こんな所にも大谷君がいました!

 

道を渡りリトルトーキョーの入り口辺りで夫が私のボーイフレンドが居ると指さすので、振り返るとミヤコホテルの壁一面に大谷選手の絵が描かれていました。

きゃ〜、こんな所でお目にかかれるとは!嬉しくてまた写真をパチリ。

リトルトーキョーには日本グッズのお土産やさんやアニメショップなどが多く見られました。

欲しいと言う息子に日本で安く買うからと説得し思い止まらせました。

 

そして、日本食のお店はお寿司にラーメンにトンカツに。。。どれも食べたいと思っていた所に、なぜかホットドッグ屋(アメリカではコーンドッグと言います)に吸い込まれていく夫と息子。。。

こんなホットドッグ屋さんがありました

 

そして母と甥っ子と私はCafe Dulceというベーカリーへ。

ここで座って海苔巻きを食べている人がいたので入ってしまったのです。

甥っ子はブリトーをオーダー、そして海苔巻きがメニューに無いことが発覚!

諦めて母と私はサンドイッチとマリトッツォのようなコーヒークリームたっぷりのパンに抹茶ラテを選びました。

お洒落で、お店の人はとっても親切でした

パンのお味はちょっと期待しすぎていたようです

 

後になって分かったのは私が見た人は並びにあった日本のスーパーで買ってきた物をこのカフェで食べていたようです。

夫と息子がホットドッグを食べながら合流し、カフェで一休みしていると、一本じゃ足りないともう一本買いに戻っていきました。

何か違う物を食べなさいよ〜、野菜とか〜と思いましたが、行ってしまったのでしょうがない。。。

そして此処から全米日系人博物館へ行きました。

www.janm.org

第二次世界大戦パールハーバーに攻撃を仕掛けた後、アメリカにいた日本人達は逮捕され、収容されていた時の写真や押収された物、資料の他が展示されていました。

その前にもアジア系は白人とは違って移民としてアメリカに渡っても市民権は与えて貰えず差別を受けていた事などを知りました。

当時、日本からアメリカへ渡った人たちは2世となる子供達に教育を与え、子供達も大学を優秀な成績で卒業すれば良い企業や弁護士など待遇の良い仕事に就けると頑張ったにも関わらず、いざ卒業をしてみるとどこも雇ってくれる所もなく途方に暮れてしまう現実に直面した事などが書かれていました。

レーガン大統領の時代に収容されていた人たちへの補償などについて合意されたのですが、その前に失意のまま亡くなった人達のことを思うと苦しくなりました。

今、私たちが受けている境遇を得られるまで頑張ってこられた先輩方のお陰で幸せに暮らせることを感謝しました。

息子にとっては日本とアメリカが戦争をしていた事実を知ってもらう機会になりましたが、世界中のどこであっても戦争が無い世の中になって欲しいものです。

長くなったので、続きはまた後日に。

今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。