9月22日 乳がん検査

メロンボーラーで丸くするのって結構難しい


今日は乳がんのレントゲン写真を撮りに行って来ました。

年に一度の検査ですが、痛いので出来ればいきたくない

なぁと思いながら行ってきました。

今年は良い人に当たったのと、体調も良かったので

思ったよりスムーズに終わりました。

 

3年前の時は体調も悪く胸が硬いタイミングだったので

とっても痛くて撮影の最中に痛みで気を失ってしまいました。

胸を2枚の板に挟まれていたお陰(?)で床に崩れ落ちずに

済みましたが、元はと言えば挟み込みが痛くて気を失った

のでした。。。

 

1分もしないうちに気を取り戻したと思いますが、

飛行機の中にいる様な轟音がして気が遠くなり、

気がついたらレントゲン技師が唖然とした顔で

私を見ていました。

 

私も後から思うと胸からぶら下がっている姿が可笑しくて

可笑しくて、自分でもぷっと吹いてしまいます。

今日は無事に終わって良かった、よかった。

9月22日 不法滞在になってしまった友人

先日は不注意に意識せず不法滞在になってしまう

例を書きましたが、今日はその状況から抜け出した

別の友人の事を書こうと思います。

でもこれは不法滞在以外の法を犯さず、真っ当に

生活している事が大前提です。

彼は大学を卒業してすぐにアメリカンドリームを

胸に親戚を頼ってやって来ました。

14、5年前の事ですが、専門職であっても

もう滞在許可はそう簡単にはおりません。

 

彼は10年間をアメリカで不法滞在者として過ごしました。

その間は運転免許証もなく、労働で得る収入は現金のみ。

 

とてもラッキーな事に、今の奥さんと出会いましたが

二人とも彼が強制送還をされてしまう事を恐れて

滞在ビザや永住権を申請出来ないまま8年が経ちました。

正式に結婚をしてもその恐怖は続きました。

家を借りるにも不法滞在者を受け入れる様な

治安のあまり良くない場所には住みたくないと

親戚を頼って間借りをしていました。

 

ある時、永住権専門の弁護士に相談をしたところ、

永住権の申請は100%却下されるでしょう、

でも、彼はアメリカ人との結婚生活も長く

二人とも、また親戚にも犯罪歴が無い事から

永住権の申請をする前に「Forgiveness」を

申請してみたらどうかとアドバイスをされました。

しかし、これは弁護士も許可が必ず出ると言う

保証は出来ないけど彼のケースでは多分、

大丈夫なのではないかと言う不安を伴う

アドバイスでした。

 

このまま何もしなければずっと不法滞在で

いつ本国へ送り返されるか分からない状態が続きます。

却下されれば当然、本国へ帰る事になります。

でも、上手くいけば合法にアメリカ滞在ができる

唯一のチャンスです。

 

書類は全て弁護士が用意してくれましたが、

サポートレターと言って、親戚や友人が彼の

人柄や普段の行いなどを例を示して、彼が

アメリカに滞在した場合、アメリカにどんな

メリットがあるのか、彼が有用なのかを書いた

手紙も添えて提出します。これを書くのは

誰でも良いのですが、警察官や教師、市議会議員

などそれなりの職業や役職についている人が書く

方が効果的だと言われています。

私も友人の一人としてサポートレターを書いて

協力しましたが、政府からは2年を過ぎた頃、

突然、本国のアメリカ大使館へ指定の日時に

インタビューを受けるように書かれた手紙が

届きました。

この2年間、全く何の連絡も無かったのに、

突然の事に驚きましたが、一歩進んだ嬉しさと

一抹の不安がよぎります。

インタビューってなんだ。

どうしてアメリカで出来ないの?

弁護士に改めて相談したところ、このインタビューには

応じず、一旦、この指定の日時はキャンセルではなく

延期を申し出る事になりました。

これに黙って応じていたら、自らアメリカを出て、

インタビューで永住権の申請は却下され、

これから10年はアメリカへは入国出来なくなる

危ない処でした。

 

数ヶ月経った頃、弁護士から封の閉じられた書類を

渡され、新たなインタビューの予約が作られて

全てが上手く行けば、2週間程でアメリカに戻って

来る事ができると言って彼は本国へ帰って行きました。

弁護士から渡された封筒はインタビュー当日に

そのまま面接官に渡します。万が一、封が開いて

いる場合は、その場で申請が却下されてしまいます。

 

インタビューではアメリカでの家族構成などを聞かれ

幸いにも二人の間には男の子が生まれていた事などを

話すと、面接官は申請に子供の情報が無いと不信がり

ましたが申請をした日から2年半が経っている事を

理解すると、子供の誕生を祝福してくれ、申請の

許可も無事におりました。

その後、写真や指紋の押捺をし10日程で永住権が

発行され、無事に帰って来る事が出来ました。

 

許可が降りてからグリーンカードが届くまでの間、

彼は実家を訪ねました。家族とは連絡を取り合っては

いたものの、10年の長い月日の間にお母さんは亡くなり

初めて会う甥っ子や姪っ子に囲まれて涙の再会でした。

 

彼が永住権を得られたのは稀なケースなのかも知れませんが

もし不法滞在になってしまっても諦めずに弁護士に相談を

したのが良い結果に繋がったと思います。

9月21日 ホームスクール終了

両方の靴の紐を結んで飛びながら帰って来ました。

息子が学校へ通いだして1ヶ月が経ちました。

学年で言うと4年生ですが、モンテソーリなので

4年生から7年生が一つのクラスにまとめられた

高学年のクラスに居ます。

息子は一度習った事は簡単に解けるのですが、

集中できるスパンが短く、公立のクラスルームでの

授業では先生が話している事の全てを吸収する事が

難しいのでは無いかと思い、モンテソーリの学校を

選びました。日本では幼稚園など低学年迄は認められて

いる様ですが、こちらでは一般的に小学校までの学校が

普及して居ます。息子の学校は望めば高校まであります。

 

昨日は、女の子からピンクと緑の輪ゴムで作った

指輪を貰って帰って来ました。他の子は貰って

いなかった様です。何と!母としてはちょっと嬉しい。

でも彼にはどう言うシチュエーションで貰えたのかは

わかっておらず、女の子をガッカリさせてしまったの

では無いかと。。。

 

学校での進み具合はとてもゆっくりで、ホームスクールに

戻したい気持ちも湧き上がるのですが、多様に教えなくては

いけない事も家庭では限界があります。

一人っ子の息子には、やはり他の子と触れ合って社会生活を

送って欲しい、楽しい事、悲しい事、悔しい事など、

人間関係から得ることや学ぶ事の方が多いと思います。

 

また宿題も親に言われて嫌々するのではなく、

明日提出しなくてはいけないと思う責任感が芽生え、

嫌な態度を見せる事なく率先してやってくれるように

なりました。

 

また私も自分の時間が出来て、毎日ジムに通いだしました。

時間があり過ぎて何をして良いのやら。

一応、散らかっていた家の中を片付け始めましたが

こちらはエンドレスのスパイラル。。。

先日、友人夫妻を招待したので息子にも手伝わせて

リビングルームが片付くと、息子はI  feel emptyと

言い、翌日には元の散らかったリビングに逆戻りでした。

 

9月20日 ジョージアオキーフとアイダオキーフについて思う事

17才になりました。よく寝てます。

ジョージアオキーフの絵を嫌いな人は

そう居ないと思うけど、私は一時期彼女が

好きになれなくて、家にある彼女の絵(勿論コピー)を

見たくない時期もありました。

ある時のセミナーで彼女とその妹アイダオキーフ

間にある葛藤を聞いたのがきっかけでした。

ジョージアは裕福なアートディーラーと結婚をして

画家として大成功しましたが、その夫は同じく

画家である彼女の妹に興味を持ち言い寄りました。

妹は彼を黒くて気持ち悪い(ようにわたしには見えました)

カラスに、自分を林檎に喩えて、黒いカラスが林檎を

狙っていて、そして鋭いナイフのような物が林檎に

刺さっているスケッチを描きました。

彼がアイダに言い寄っている事を知ったジョージア

夫が妹の画家としての活動をサポートし、自分の

妻として、画家としての立場が脅かされると思い、

妹を遠くへ追いやり、一生会う事も無く、

またアイダも独身のまま、画家として成功する事も

なく亡くなったと言う話でした。

後にジョージアがニューヨークからニューメキシコ州

引っ越した後も彼女は兄弟を招待して夏を過ごしたり

したそうですが、アイダを呼ぶ事は無かったそうです。

二人の間に起きた詳細を知る事は出来ないけれど、

この話を聞いた時、私も妹のアイダに同情的で、

ジョージアが嫉妬の炎に灼かれて妹を可哀想な立場に

追い込んだ酷い人だと思って居ました。

でも、当然、当時の彼女は夫のことを愛していたに

違いないと思うようになりました。

また夫のことを嫌っている若い妹を守るためにも、

妹を夫に会わせないように遠くへ行かせたのでは

ないかと思いました。深煎りする前に夫の前から

居なくなってしまえば妹の事は忘れてくれると

思ったのでしょう。

自分よりもかなり年上の夫が自分よりも若い女性に

惹かれている、それに気付いた時の驚きと、

若さを失っていく自分を見る悲しみ、

裏切りを感じた時のどうしようもない怒りを

生み出したのだろうと思います。

そう思い始めた時、彼女の絵を嫌う気持ちはなくなり、

またもう過去の事と納得して観ることが出来るように

なりました。

結局、彼女の夫はまた違う女性に興味を持ちます。

こう言う男の人は妻を、女性を人として尊重

する事は出来ないのでしょうか?

 

3月22日 プラトニックな浮気?

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バレンタインデーにハワイから贈られて来たレイ


夫が大学院にいた頃からの友人(?)で

年に一度会ってランチをする女の人の存在を

つい最近になって知りました。

隠していた訳では無い、単なる友達だと

言うのですが、他の友達と出かける時には

名前も誰かも何を話すのかも言うのに、

今回は誰と行くのかを知られたくなく、

夫が出かける直前に名前を聞いたら

“Who?”と不意を突かれて大声になっていました。

どうしても私には知られたく無かったようです。

 

なぜランチかと言うと、夜はいつも家にいるし

ランチであれば昼間は仕事で家を出ていた私には

何も言わなくて済むから。そしてランチなら彼女も

応じてくれるから。

彼女の方はあまりその気は無いようでランチに誘うのは

いつも夫の方から。

彼女は中国系、11歳年下の才女、年収も高く、

交際に発展しなかったのは、(もしかしたらしていたのかも

知れないけど、続かなかったのは)彼女にその気が無かった

からと想像してます。

 

今回も夫の執筆した本を彼女に贈り感想を聞かせて欲しいと

彼女を誘っていました。今回本を何冊か友人達に郵送する時に

聞いていた中には彼女の名前は有りませんでした。

前回の出版時には友人を家に呼んでパーティをしたのですが、

その時も彼女には個別に本を贈って会っていました。

 

出かける前日に洗車をして、オシャレをして出て行きました。

日本人と結婚した癖に偏食の夫はお寿司が大嫌い。

なのに彼女からの提案でお寿司屋さんへ。

 

コロナ禍で、前にも書きましたが、子供をホームスクールして

外食は極力控えている努力も裏切られて、ショックだったのは

彼はいつもWe don't need to eat outと言って私達との外食は

嫌がる癖に、彼女から少しでも長く居られる為に迎えに来て

欲しいと言われ、彼女を20分もかけて迎えに行き、レストラン

まで片道30分もかけて送迎していた事です。狭い車の中で

二人きり、マスクだってしてたのか怪しい。

彼に取っては彼女は、コロナ感染への警戒も忘れる程の存在と

いう事ですよね?

3月22日 永住権取得迄の注意

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チョコボムを作ってみました



学生ビザで滞在中に結婚をしたので、

学校は暫く休んで、新婚生活を楽しもう、

来学期から復学しようと思っていたところ

新学期の授業を取っていないことを不思議に

思った担当者から電話がかかってきました。

担当者は、学校に来ていない時点で、

私の学生ビザは取り消されてしまうので、

このまま居ると不法滞在になってしまう、

一度ステータスが不法になってしまうと

永住権は許可されなくなるのだと教えて

くれました。

アメリカ人と結婚しているのに!まさか!

と思いましたが、アメリカ人との結婚と

滞在許可は別物なんだと教えて貰い、

慌てて学校へ戻りました。

 

数年前に知り合った女性は結婚をした時点で

私と同じように、アメリカに滞在する権利が

発生すると思ってしまい、更には永住権の

申請すらもしなかった為に、ビザ免除で

滞在できる期間を超えてしまい、

気が付いた時には不法滞在者になって

しまいました。

 

これからアメリカ人と結婚して渡米する予定が

ある人は、まずは永住権の申請を忘れないように

しましょう。先述の女性は、申請前にすでに

不法滞在者だった為に永住権は却下されました。

永住権の申請をした後も許可される直前に

インタビューがあり、そこでの質問にそれまでに

不法でアメリカに滞在した事があるかを聞かれます。

なので、許可が下りる迄はビザなどの滞在できる

期間を過ぎてしまわないように気をつけましょう。

2月12日 永住権取得まで

f:id:ZigZagDog:20220213070607j:plain永住権を申請するにはお金がかかります。

私の時には、十年以上前ですが、1600ドル💵

ぐらいを払ったと思います。

Marriage CertificateやIDなど、必要書類を

提出し、数ヶ月後に指定された日に夫婦揃って

インタビューを受けます。

インタビューと前後して私の写真撮影と

指紋の押捺もしました。

 

永住権の申請をする時点で、合法的に

アメリカに滞在している場合(学生ビザや

就労ビザがある場合)はアメリカに

いるまま申請が出来ます。

私は留学生だったので、アメリカで

申請をしました。

 

審査が通り、インタビューを受けるときには

多くの友人がアドバイスをくれました。

出会った時から今までに一緒に過ごした

イベントや、旅行した写真をアルバムにして

持って行く事。相手は勿論、相手の両親の名前、

生年月日等を覚えて行く事。

インタビュアーが偽装結婚では無いかと、

怪しいと思うと、お互いの知識が食い違って

いないか、同じ鍵を持っているか更に詳しく

質問されたり、更には別々の部屋へ連れて行かれ

同じ質問をされ、答えが一致しないと申請が却下

されると言われ、電撃結婚だった私達は慌てて

お互いを知らない事がないか考えたりして、

お互いの事を勉強しました。

 

当日は、ドキドキしながら簡単な質問に答えると、

7、8分ほどで「はい、あなたの永住権は許可され

ました。もう帰って良いですよ〜」と言われて

ビックリしてしまい、

「聞いてたのと違う〜、こんな簡単に終わって

良いの?せっかくアルバムも作ったのに〜」

と言ってしまいました。

夫は、問題なく終わろうとしているのに、

アホか!と呆れていました。。。

 

「望むなら別々に個室を用意しても良いけど〜」

「これだけインタビューをしていると怪しい

カップルは直ぐに分かるし、デレデレ写真の

アルバムなんか見たくも無い、あなた達は

帰って良いです。」と出口までエスコートして

帰してくれました。そのときに隣の部屋に居た

カップルが見え、彼らは私達より40分ぐらい

前に呼ばれて入って行った二人でしたが、

まだまだ続きそうな感じでした。