9月22日 不法滞在になってしまった友人

先日は不注意に意識せず不法滞在になってしまう

例を書きましたが、今日はその状況から抜け出した

別の友人の事を書こうと思います。

でもこれは不法滞在以外の法を犯さず、真っ当に

生活している事が大前提です。

彼は大学を卒業してすぐにアメリカンドリームを

胸に親戚を頼ってやって来ました。

14、5年前の事ですが、専門職であっても

もう滞在許可はそう簡単にはおりません。

 

彼は10年間をアメリカで不法滞在者として過ごしました。

その間は運転免許証もなく、労働で得る収入は現金のみ。

 

とてもラッキーな事に、今の奥さんと出会いましたが

二人とも彼が強制送還をされてしまう事を恐れて

滞在ビザや永住権を申請出来ないまま8年が経ちました。

正式に結婚をしてもその恐怖は続きました。

家を借りるにも不法滞在者を受け入れる様な

治安のあまり良くない場所には住みたくないと

親戚を頼って間借りをしていました。

 

ある時、永住権専門の弁護士に相談をしたところ、

永住権の申請は100%却下されるでしょう、

でも、彼はアメリカ人との結婚生活も長く

二人とも、また親戚にも犯罪歴が無い事から

永住権の申請をする前に「Forgiveness」を

申請してみたらどうかとアドバイスをされました。

しかし、これは弁護士も許可が必ず出ると言う

保証は出来ないけど彼のケースでは多分、

大丈夫なのではないかと言う不安を伴う

アドバイスでした。

 

このまま何もしなければずっと不法滞在で

いつ本国へ送り返されるか分からない状態が続きます。

却下されれば当然、本国へ帰る事になります。

でも、上手くいけば合法にアメリカ滞在ができる

唯一のチャンスです。

 

書類は全て弁護士が用意してくれましたが、

サポートレターと言って、親戚や友人が彼の

人柄や普段の行いなどを例を示して、彼が

アメリカに滞在した場合、アメリカにどんな

メリットがあるのか、彼が有用なのかを書いた

手紙も添えて提出します。これを書くのは

誰でも良いのですが、警察官や教師、市議会議員

などそれなりの職業や役職についている人が書く

方が効果的だと言われています。

私も友人の一人としてサポートレターを書いて

協力しましたが、政府からは2年を過ぎた頃、

突然、本国のアメリカ大使館へ指定の日時に

インタビューを受けるように書かれた手紙が

届きました。

この2年間、全く何の連絡も無かったのに、

突然の事に驚きましたが、一歩進んだ嬉しさと

一抹の不安がよぎります。

インタビューってなんだ。

どうしてアメリカで出来ないの?

弁護士に改めて相談したところ、このインタビューには

応じず、一旦、この指定の日時はキャンセルではなく

延期を申し出る事になりました。

これに黙って応じていたら、自らアメリカを出て、

インタビューで永住権の申請は却下され、

これから10年はアメリカへは入国出来なくなる

危ない処でした。

 

数ヶ月経った頃、弁護士から封の閉じられた書類を

渡され、新たなインタビューの予約が作られて

全てが上手く行けば、2週間程でアメリカに戻って

来る事ができると言って彼は本国へ帰って行きました。

弁護士から渡された封筒はインタビュー当日に

そのまま面接官に渡します。万が一、封が開いて

いる場合は、その場で申請が却下されてしまいます。

 

インタビューではアメリカでの家族構成などを聞かれ

幸いにも二人の間には男の子が生まれていた事などを

話すと、面接官は申請に子供の情報が無いと不信がり

ましたが申請をした日から2年半が経っている事を

理解すると、子供の誕生を祝福してくれ、申請の

許可も無事におりました。

その後、写真や指紋の押捺をし10日程で永住権が

発行され、無事に帰って来る事が出来ました。

 

許可が降りてからグリーンカードが届くまでの間、

彼は実家を訪ねました。家族とは連絡を取り合っては

いたものの、10年の長い月日の間にお母さんは亡くなり

初めて会う甥っ子や姪っ子に囲まれて涙の再会でした。

 

彼が永住権を得られたのは稀なケースなのかも知れませんが

もし不法滞在になってしまっても諦めずに弁護士に相談を

したのが良い結果に繋がったと思います。