2月3日 変化する日本語

息子が幼稚園で作ったカルタの一枚。雰囲気が出ていて一番のお気に入りです。

 

今朝は豆まきをしました。息子は学校で節分について習ってきたばかりなので、説明なしに始められました。毎年恒例なのに我が家の夫も息子も何の事が覚えてくれていないので毎回初めてする行事のようになります。

豆の調達も大変です。節分が近づくと日系のスーパーではすぐに売り切れてしまい、韓国系のスーパーを梯子した挙句に小豆を撒いた年もありました。

今年は去年の残りがあって、それを使ってしまいました。来年も豆があるように1月上旬には豆を買っておくようリマインダーをセットしました。とにかく無事に終わって今年も健康に無病息災で過ごせますように。

話は変わりますが、日本とアメリカ、イギリスとイタリアを行き来して3、4年行っては日本に帰る〜という感じだったのですが、最後に日本を出て22年(アメリカに来てからは18年)になります。

アメリカに来たての頃に知り合ったA子さんは60年代にアメリカに来て、その当時で在米40数年と言うご夫人でした。彼女の使う日本語はとても綺麗で、さようなら、ごきげんようを自然に使う方でした。

言葉だけでなく、心も綺麗。いつも色んな人に気遣いのできる優しい方で、私もお世話になりっぱなしでした。

でも、日本を離れて40年も経つと日本語もかなり変わっていて、時々彼女が知らない言葉を見つけるのが面白くて、次は何を聞いてくるかなと楽しみにしている処もありました。

まずは電子レンジでチンする、のチンの意味を知りませんでした。「チンってなぁに?」今時の人達もきっと知らないですね。昔は電子レンジが温め終わるとチン!となったのでした。でもA子さんはその音を知りませんでした。

ある時、お茶友達で待ち合わせをした時に遅れてきたY子さんが「車が渋滞で遅くなった」と言った時にもA子さんは渋滞の意味も、どういう漢字を使うのかも知りませんでした。「車がじゅうたい。。。?」Traffic jamですよと教えられて、「私が日本にいた頃はTraffic jamなんて無かったものねぇ」と感心していました。

これは日本語に関してではありませんが、いちばん驚いたのは「日本では車はガソリンで動いていたかしら?石炭だったかしら?」でした。今なら電気も分かりますが、幾ら何でも、ガソリン以外の燃料は想像できません。多分あれは、蒸気機関車と勘違いしたのかなと思っています。

そして、今の私も新しい日本語について行けてません。

「えもい」と聞いて、何か気持ちが悪いのかしら。。。とずっと思っていました。でも文面から腑に落ちず、ググって初めてEmotionalから来ているのね、と納得できましたが、やぱりエモいと言われると気持ち悪いのかな、と思ってしまいます。

「w」ってwarai のwってすごくこじつけな気がするのですが、どうしてこんなに広まって皆が使っていのかが不思議です。

次は文の後に来る「草」です。なんでwが草が生えるように見えるから草って。。。私にはクサって呆れているように見えますが。。。

どんどん変わっていく日本語について行け無くなっている自分が残念でなりません。